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083. and FRANNY - 真冬のララバイ (feat. あゆ巫女)
2017年08月20日
and FRANNY名義での6曲目「真冬のララバイ」をアップいたしました。
ボーカルはあゆ巫女さん(twitter / soundcloud)です。
作詞も頼んでボーカルも頼んで完全におんぶにだっこ状態です。オリジナルも素敵なので是非。

bitter ver


sweet ver


今回2つのアレンジでの発表となりましたが、どちらか一方がオリジナル、というわけではなく、
どちらもオリジナル、というつもりで制作いたしました。
bitter verはよりヒップホップ的なトラック、sweet verはよりポップで可愛いトラックです。
まだ夏は続きますが、真冬の曲を聴くというのもおつですね。どちらも楽しんで頂けたら幸いです。


(アルベルト志村)
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062. well-known blueberry (einsteins ver)
2016年04月01日
 エイプリルフールということで、かねてより温めていた企画――温め過ぎて旬が過ぎた感もありますが――をば。
 以前勝手に作ったTUTU HELVETICA「well-known blueberry」のインストを更にバージョンアップさせてボーカルも追加しカバー(コピー)を制作いたしました。
 制作にあたり、改めて執拗に原曲――とは言ってもネットにアップされているあの何とも言えない音質のものです――を聴き直しましたが、その度に新たな発見があって、もう真部・やくしまる両氏による”TUTU HELVETICA”という名義での音源発表の可能性がゼロに等しいことを思うと、とにかく残念です。そんな気持ちはアインシュタインズを始めた当時の動機のうち、決して少なくない部分を占めていましたが(もちろん勝手にインストを作ったのもこの気持ち故です)、ウン年越しとなったものの、いい感じに昇華されたのではないかと思います。
 同時に今回のカバー音源のインストも公開して、ダウンロード出来るようにしました。是非歌ってみて下さい。そして聴かせてください。
 この”遊び”をエイプリルフールという絶好の機会に、各々の想像の中で永遠に理想化された――もはや郷愁とさえ言える存在になった彼らの音楽を、部分的にも、ほんの少しだけでも、皆様と共有して楽しめたらなと思った次第です。

カバー
soundcloud



インスト
soundcloud



インスト・ダウンロードは firestorage.jp からも出来ます。


(アインシュタインズ)
061. 辺境より '16 卒業
2016年03月18日
 服の趣味が緩やかに変わってきているようだ。断捨離というわけではないが、もう全く着なくなったもの、あるいはこれはいつか着そうだなと見る度に思いながら結局着ないような服を一気に処分した。全く問題なく着れるのだけれど今現在の趣味・気分に合わないものはネットオークションに出してみた。落札されないと何となく後ろ髪を引かれたような気になり、やはり残しておくべきか、もう出品は止めようかなとも思ったが、心を鬼にしてしつこく出品を繰り返すと、慣用的な意味でもなんでもなく文字通り捨てる神あれば拾う神ありで、案外売れるものである。もちろん安価ではあるが。他のオークションでは売れそうにもない服はB○OK OFFに売りに行こうとまとめて置いておいた。すると何となく気分が落ち着かない。これまで僕を裸体を晒す羞恥や寒暖、紫外線等々から守ってくれた服を、早く売ってこの部屋からその存在を消してしまってスッキリしたいと思うのだから何とも現金で酷い話だ。
 僕はものを捨てるのが本当に苦手で、これは結構気持ち悪いと自分でも思うのだが、学生の頃に友達からもらった旅行土産が入った包装紙——何の変哲もない普通の紙である——をずっと取って置いていたりする吝嗇な人間である。というのも、すべてのものに人の手がかかっていると考え、人の手を通過したものには少なからずその人の意思が内在しているような気がしてしまい、無下に扱うことが出来ず捨てられないのだ。無機物に対する己の心の投影なのだろうが、どうしてもものに心を見てしまう。今回断行した服の一斉処分は、自分が実際に着用していたものなので、貰ったものとは意識の仕方が違うため単純な比較は出来ないが、ものを処分することは気分転換にもなるし意外といいものだと思った。ミニマリストに憧れを抱いたことは微塵もない。しかし僕の部屋にあるCDやレコード、本やマンガを一気に全部売り払ってしまうと、僕の気分はどうなるのだろう、とか、現実的に一体いくらになるのだろうと考えることは、実は結構ある。今の所それを行うだけの労力も人生における転機のようなものも必要性も感じていないので妄想止まりだが、本当は捨てて一度まっさらな身となって、新たなスタートを切ってみたいという欲求があるのかもしれない。
 3月のある日、僕は割と大きめな袋2つ分になった不要な服を売るべく、左右それぞれの手で持ちながら街へ繰り出した。快晴の天気で日差しは暖かく、にわかに冬はもう終わったのだと感じた。無事に服の買い取りを済ませると、出来たお金で待ち時間に見つけた古本を買った。部屋にあった服は新たに本に練金され、結局また部屋の空間を埋めるのである。そしてB○OK OFF内で回転する閉じたお金の流れに若干の虚しさを覚えつつ店を後にした。

 街をふらふら歩くと、若者が多いように思えた。なるほど、もう学校は卒業を終えた時期である。
 僕の印象に残っている卒業式は高校生の時のものだ。熱心に勉強に打ち込むわけでもなく、課外活動や部活に精を出すわけでもなくそれなりに過ごして、別段高校に思い入れがあったつもりはないのだが、式が始まってから間もなく、僕はギャン泣きしていた。自分でもどうしてこんなに泣いているのかよく分からないくらいだった。これ以来、僕は確実に涙もろくなった。涙腺のたがが外れた感じである。僕は挨拶を読む役割があったので、式が進むにつれ次第に落ち着いていったが、閉会後、隣にいた女子から「志村がずっと泣いてるからわたし全然泣けなかったんだけど」と言われる始末であった。卒業生の歌では「仰げば尊し」等のオールドスクールな曲ではなく現代のJ-POP、しかも僕のあまり好きではない曲を唄わなくてはならなかったため、ピアノの伴奏を買って出ていた。唄いたくない、というのも動機のひとつであるが、もう一方で最後にピアノを弾けるアピールをかまして一目置かれたい(心の声はあわよくばモテたい)という下心があった。僕にも思春期らしい衝動があったわけだ。確か在校生の送る歌——何の曲だったかは忘れた——の後すぐに卒業生が唄ったはずである。指揮をする女子の大仰で奇妙な動きを見つつ弾き始めたとき、鍵盤がやたらぬるぬるしていて滑りそうになったのを強烈に記憶しているからだ。伴奏をしていた後輩の子は緊張していたんだろうなぁとそのとき思った。つつがなく演奏を終え、無事に卒業式も終了し、謝恩会まで友人らと話したりして時間的な余裕はだいぶあったように思うが、同級生からも下級生からも伴奏についての反応は何一つなかった。まぁこんなもんだよな…と思いながらその後、ロッテリアだかマクドナルドだかで夜遅くまで最後の制服姿で男友達とくだらない話をしていた。何とも青春ではないか。

 そんなことを思い出しつつ帰りの電車に乗った。席が空いたので座ると、隣にはお母さんと抱きかかえられた赤ちゃんが座っていた。ちょうど僕の方に顔を向けて赤ちゃんが寝ていたのだが、赤ちゃんを見ると僕は今までに感じたことのない愛おしさを覚えて驚いた。勝手に将来きっといい顔の子になるんだろうな、と思わずにはいられないくらい可愛らしい顔をしていたので、単に造形的な感動だったのかもしれないが、ありふれた日の電車の中で、全く知らない赤の他人の子どもをここまで可愛いと思うとは予想だにしなかった。正直に言うと、これまで赤ちゃんを可愛いという感覚がいまいち掴めていなかったのだが、もしかするとこういうことなのかもしれない、と思ったほどだ。春らしい出来事だと感じた。


(アルベルト志村)
059. 辺境より '16 厄除け
2016年01月06日
 2015年の大晦日は格闘技を見て過ごした。地上波ではウン年振り(詳しい年数は失念した)の放送だそうで、格闘技ブームが列島を席巻していた頃の、年が変わる瞬間のわくわく感が試合や選手、観客の熱気と相まっていかにも大晦日らしく盛り上がるあの当時のお祭り感を少し思い出した。とは言っても、僕はもともと根っからの格闘技ファンではなく、PRIDE消滅とともにK-1も見なくなったしプロレスやUFCに興味が向くといったこともなかったのだが、ブームが下火になってしまって以降、民放各局が何を大晦日に放送していたか?と問われると答えに窮するのは確かだ。それほど当時の格闘技はインパクトがあって面白くて熱かった。
 久々に復活した年末の総合格闘技は、もちろん各々さまざまな感慨や感想があると思うが、僕は時代の流れを痛感させる哀しさが先行してしまって、手放しに楽しめたかというと必ずしもそうではなかった。歳を重ねる毎に、大晦日とかカウントダウンとか年越しなどそういったことに関心が無くなりつつあるというか冷めていくというか――特別騒ぐようなタイプでもなかったのだが、そんな状態なので、今後かつてのように楽しめるのかどうかは分からないというのが正直なところだ。もちろん、また恒例の行事になってくれるのならば嬉しい。
 2015年、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは現役引退し、エメリヤーエンコ・ヒョードルは復帰した。

 2016年になった。
 元日のあくる日、買い物の代金を支払うべくコンビニへ出かけると、駐車場の隅にチューハイのロング缶を足元に置いてうずくまっているおじさん(カーキのモッズコートを着ていて坊主頭)を見かけて、急に正月を感じた。あけましておめでとう、と挨拶された時よりも強烈に。何故だか理由は分からない。おじさんの事情も分からない。青すぎる冬のうららかな日。にっぽんの正月であった。

 年明けから数日が経ち、ぼちぼち人出も落ち着いた頃だろう~と高をくくって初詣へ出かけた。定期的に神社へは散歩がてら参拝をするが、いつの間にか初詣をしないとなんとなく気分が落ち着かない体(精神?)になってしまった。これが信仰というものであろうか。
 三が日を過ぎたと言ってもまだ松の内である。参道の両側には出店が軒を連ねていた。いつの間にか聞き慣れない食べ物――いわゆるB級グルメというやつ――を売るお店が増えた。カップルや家族連れ、友人や同僚らと連れ立って拝殿へ向かう参拝客はまだまだ沢山いた。入れ替わるように破魔矢を抱えた人たちが向かいからやってくる。けだるそうに店番をする髪を明るく染めた若い女性や、威勢のいい若い男性が鉄板でイカやら麺やらを焼きながら声をあげていた。お好み焼きやケバブ、から揚げ、じゃがバタを買い、簡易のテントが張られた飲食スペースでお酒を飲む大人たち。子供たちはおもちゃを売る出店の前に集まっている。カレンダーを売る出店では、風景などの当たり障りのないものと一緒に、何故か女性のヌードのカレンダーが堂々と売られていて、毎年それを確認しては平和を噛み締めていたのだが、今年ざっと見た限り、水着のモデルのものに抑えられていた。あるいはもう売れてしまったのかもしれない。辺りは油とソースと甘酒の匂いが漂っていて、抽象的で象徴的で牧歌的な記憶を刺激してきそうだ。そんな中、男一人でふらふらとやってきた僕は酔狂のように感じた。イヤフォンから流れる小沢健二の「LIFE」が沁みる。
 粛々と参拝を終えると、おみくじを買った。開いてみると「向吉」という見覚えのない字面が出て戸惑うも、吉に向かうということで、まぁまぁな運勢らしい。引き続き悩みごとは尽きないが、まぁいい感じになる、欲深にはなるな、ものをおしむとよくない、というようなことが書いてあった。そうか、結局今年も悩み続けるのか。

 コンビニで代金を支払ってから数日後、商品の在庫がないとか先に購入した人がいたとかどうとかで返金する、という連絡がって、年明け早々げんなりしたのだが、何となく己の欲を試されたような気分になった。


2016.01.11 付記

 新年ということで、ささやかながら、ほんのちょっとしたおまけ、です。
 copipe recordsのショップでお買い物(どんな商品でも構いません)をして頂いた方に、「志村選・2015年邦楽ベスト」的MIX CDをおまけとして付けます。我々の作品と合わせて楽しんで頂ければ幸いです。どうぞこの機会に。
 気が向く限り付けますが、突然終了することもありますので予めご了承ください。

http://copipe.theshop.jp/


(アルベルト志村)

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