077. and FRANNY - スペシウム・ガール (feat. ぽわらみう)
2017年03月23日
and FRANNY名義での5曲目「スペシウム・ガール」をアップいたしました。



円谷プロ・ウルトラシリーズへの愛を込めました。是非聴いてみて下さい。
ボーカルはぽわらみうさん(
twitter / soundcloud)。
声も曲も可愛らしくて素敵なのでみうさんのオリジナルも合わせて是非。


(アルベルト志村)

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073. Dec_16 part 2
2017年01月19日
 12月17日。みてぃふぉさんの展示を見に行ってきた。あくまで僕の認識としてだが、みてぃふぉさんは女の子やライブの写真を撮っていらっしゃる方で、これも僕の個人的な感想だが、その写真には紗のかかったような儚い感じ――しかしそれは冷たいものではない――があって、常々いいな~と思っていた。音楽活動もされており、是非会ってお話をしてみたいとも思っていたのだった。これまで何回か写真の展示をされていたのだがなかなか行けず、行ける機会をうかがっていたのだ。今回はみてぃふぉさんが以前住んでいた家で行われていた。その元自宅がある最寄り駅に初めて降りた僕は、向かう途中通った商店街を買い物客や飲み客が薄暮の中、店の灯りにじわりと照らされた道を行く光景を、見知らぬ土地でも営まれる人の生活の尊さに感傷的な心持ちになりながら眺め歩いていた。
 辺りは既に日が落ち暗くなっていた。教えられた住所付近に着くと、そこは住宅街で街灯もまばらだった。それらしきアパートがあったのだが確証が持てずうろうろしていると女の子が近付いてきて「展示を見に来たんですか?」と聞いてきた。「はい」と答え、「多分ここですよね…?」と続け真っ暗な部屋のチャイムを押してみるが何の応答もない。所在なげに立っていると、別の女の子が隣のアパートの部屋の前に立っているのを視界の隅にとらえた。閑静な住宅街にその時間帯としては不自然な数と、ある文化圏を認識させる服装の若者が集まってきていることに改めて気付き、不思議な気分になった。その別の女の子が小柄な女性に出迎えられるのを見て、自分が間違った部屋のチャイムを押したことに気付き、そちらへ向かった。
 部屋には既に5、6人の人が来ていた。壁は女の子を写した写真が飾られ、床にはプリントされた青い写真が無造作に敷かれている――ちょうど僕が行った時には部屋の奥に寄っていて、まるで海と砂浜のようであった。写真を眺めていると、不意にマフラーのフリンジにカーラーが巻き付いていることに気付いた。慌てて外したのだが、どうやらずっとこの状態で電車にも乗り街を歩いてきたらしい。こういうことを他人に気付かれて笑い話のタネにでもなれば天然ということになるのだろうが、僕は自分で気付いてそれをなかったことのように振る舞うのでただの間抜けである。初対面だったのでみてぃふぉさんに挨拶をすると、なんとアインシュタインズのCDを買ってくれていたので驚いた。
 展示も素敵だったのだが、何よりもその空間自体が心地の良いものだった――あまり傍目からは楽しそうに見えなかったかもしれないが、内心はとても楽しかった。それはなにより主であるみてぃふぉさんの人柄が大きかったと思う。写真家やバンドマンやあるいはそのファンなど、色々な人たちが集まってサロンのようだった。こういういつでも好きな時に気軽に来れて、自分の作品や相手の作品を見せたり批評したり、世間話が出来る場があれば良いのにと思った。

 12月25日。待ちに待った欅坂46初ワンマン最終公演を見に行ってきた。この日に向けて病気にならぬよう細心の注意を払って生活してきたのだが、無事に万全のコンディションで臨むことが出来た。最近の僕のツイッターは――もともと少ないツイート数にも関わらず――欅坂についてのつぶやきが圧倒的に多く、音楽のことやアインシュタインズの曲・制作についてのつぶやきを少しでも期待されていた方には本当に申し訳なく思っている次第だが、ついにブログまで欅坂になってしまった。
 一緒に行った友人とは使う路線が同じなので電車内で待ち合わせをし、国際展示場駅へ向かった。欅坂のパーカを着た人が僕たちの前にいつのまにか座っているのに気付くと、いやがおうにも気分は高まった。駅に着くと、会場である有明コロシアムへ向けた人の波ができていた。それについていくと、辺りは欅坂ファンで溢れていた。無事に入場を済ませ席の確認をすると、ステージの真横ではあるが、なかなか近く見える席だったのでとりあえず一安心だった。
 欅坂の楽曲のインストが流れている会場内に、メンバーの影ナレで注意事項がアナウンスされると観客は一気に盛り上がった。「僕たちの戦争」のインストが次第にボリュームを上げていくと、いよいよ開始なんだと、緊張とわくわくが一気に比例するように高まっていった。
 2時間半ほどのライブだったが、欅坂・けやき坂の持ち曲を全てフルサイズで披露した。とにかく生で見れて、この空間にいることができて良かったと思った。1曲目「大人は信じてくれない」からダンスの激しい曲でライブは始まり、ソロやユニット曲、ダンスパート、聴きたかった曲もしっかり聴けて大満足であった。またステージがアリーナ席をぐるりと囲む配置となっており、より近い距離でメンバーを見れた(ような気がした)。シングルA面曲を最後の3曲にもってくるセットには思わず唸ったし、待っていました!と言わんばかりに観客の歓声が大きくなったのも鮮烈な印象を与えた。特に「世界には愛しかない」の2番Aメロには思わず目頭が熱くなった……。アンコールで、菅井友香というメンバーがMCをしながら泣いてしまったのには、思わずもらい泣きをしてしまった。初ワンマンライブの最終公演を生で見れた喜びを友人と噛みしめながら、中華料理店で夜更けまで話しこんだのだった――


(アルベルト志村)
069. Dec_16 part 1
2016年12月22日
 今月は色々と出向くことや出来事があり、更にはこれからの予定もあるので――まるで今年の印象を終わり良ければすべて良し、と帳尻を合わせるかのように、あるいは一種の躁状態の発露のように――、記録がてら時系列に書いていこうと思う。
 また今月――というか今年までに制作した曲がいくつかあるので、これも後で別記事にまとめてお知らせしたい。

 12月3日。この日のぼくはパソコンを前に、にわかに緊張していた。11月下旬に発表された、欅坂46がクリスマスに行う初ワンマンライブのオフィシャルチケット先行申し込みに見事としか言いようがないほど落選した僕は、12月3日の一般発売のチケットに賭けていたのだった。一縷の望みを託しディスプレイを見つめていたわけである。チケット発売開始時刻の少し前から当該ページにアクセスしてみると、おなじみの”アクセスが集中してページを開けません。時間を置いて再度アクセスしてください”といった白地に文字だけの簡素な画面が続いて、やっぱり厳しいよな、ダメか…、と思った。およそ10分ぐらい更新――F5キーを押し続けると、何と公演詳細のページに進めたのである。しかし無常にも3公演全てチケットは完売していた、かに見えたのだが、ステージサイド席にまだ空席があることを示す○のマークが表示されているので、一気呵成に友人の分も含めチケットの申し込みをしたのである。ここからぼくは神か天か先祖か運か何か分からないが、とにかく超現実的、超常的な人の力はもう及ばない領域へただただ祈るのみとなった。申込み→祈る→チケットを用意できませんでした、の表示→残席の確認→申し込み、を繰り返した。何度目かのトライで、今まで見なかった表示のページが現れ注意深く観察すると、チケット代金の支払い詳細のページへ進むことが出来たのであった。震える指を深呼吸と落ち着けという己への呼びかけで押さえながら申し込みを完了させたぼくは、願いが眼前で成就されるあの得も言われぬ瞬間――しかも、勝ち取った、という充足感を伴って――、これまで極限まで撓められた緊張と不安、先行で落ちた悲しみ、一般もダメだった時の悲観的観測の反動を利用し最大値まで高められた安堵と歓喜の中にいたのである。思わず笑みがこぼれていた。最近デレステのガシャをひいても普通のレアしか出てなかったから、運の貯金――貯運とでもいうべきか――が出来ていたのだ、などと考えていた始末である。(ちなみ今更ながら補足的に説明しておくと、3月に放送された「デビューカウントダウンライブ」をたまたま見て以来、ぼくは欅坂46にどっぷりとはまっている。)

 12月7日。「乃木坂46 Merry Xmas Show 2016 ~アンダー単独公演~」を見に武道館へ友人と行ってきた(またアイドル、しかも坂道シリーズの話!)。一人だと心細いから一緒に行くのなら、と友人はチケットの申し込みをしたわけだが、何と奇跡的に――これは大袈裟でも比喩でも何でもない思う――チケットが取れたのだ(ちなみにライブは12月6日の選抜単独公演から始まり、選抜とアンダー交互にライブをやった後、新たに加入した3期生がお見立て会というライブを行い、武道館で5日連続公演をした)。乃木坂のチケットの当落は、上に記した欅坂のオフィシャル先行申し込みよりも前に発表されていたため、Xmas Showのチケットが取れた時点でまさか欅坂のライブにも行けるとは思っていなかったのだが…。後に友人に聞いた所、他の日の選抜・アンダー公演のチケットも申し込みをしてみたが、案の定取れなかったとのこと。
 武道館へ向かう地下鉄車内で、ぼくの隣に座った男二人組が「川後が…」と話しているのが聞こえてきたので、彼らも乃木坂のライブを見に行くことが窺い知れ、徐々に気分が高まった。誰かを待っている風な人が散見される九段下駅で友人と落ち合うと、この日の乃木坂のライブに行ける喜び、そして欅坂のチケットが取れた喜びを開口一番話した。武道館の外も中も人で一杯である。それぞれがペンライトを持ち、推しメンのタオルを首に下げている人も多く見られた。
 さてライブだが、端的に言うと超楽しかった。これに尽きる。特に企画として行われた「全員センター」はとても良かった。てっきりこの日で16人全員披露するのかと思ったら、翌々日のアンダー公演2日目と分割だったようで、ぼくが乃木坂で一番好きな絢音ちゃんのセンターを生で見れなかったのが心残りと言えば心残りではあるが…。ライブ中、興味深く感じたのは、曲中や曲の終わりにそれぞれのファンが両手にペンライトを持っているが故に拍手が起きない点である。こういうアイドルのライブは初めてだったので、文化の違いを感じた。拍手をするとかえって浮いてしまうので、したくても出来ないもどかしさ。あっという間の2時間半だったが、ライブの最後、アンダーセンターである寺田蘭世のMCには感動した。
 武道館から帰る際、道端でチラシを配っている女の子がいた。どうやらアイドルをやっている子らしい。後で知ったことだが、彼女が所属するグループで乃木坂3期生に入った子と欅坂の鈴本がかつて活動していたらしい。色々とつながっているのだなと感じた。友人と夕飯を食べつつ乃木坂・欅坂談義に花を咲かせたが、俄然欅坂のライブが楽しみになったのは言うまでもない。

 12月11日。ぐるぐるTOIROというライブ――というかフェスというかイベント?を見にさいたま新都心へ。主な目的はフリースタイルダンジョンに出ているラッパー3人――R-指定(Creepy Nuts)、DOTAMA、サイプレス上野(みな敬称略)だが、他にも少し気になるバンドが出るので友人を誘い行ってきた。去年も見に行きたかったのだが行けず、今年初めてとなる。話はだいぶ前後するが、このライブに友人を誘った時点では、まだ欅坂はワンマンライブを発表していなかったし乃木坂のチケットに関する話もしていなかった――と思う――ので、12月のライブ予定はこれのみだった。電車で向かう途中、車窓からSSA付近に行列ができているのが見え、お、こんなに人来てるの?!と思ったが勘違いであった。改札を出て友人と合流しSSAの前を少し回ってみたところ、夕方から浜田省吾のライブがあるらしいことが分かり、ぼくが見たのは恐らくその物販に並ぶ列だったと思われる。目的のTOIROに着くと、その文化祭感・規模感に内心驚きを感じたのは否めない。開場時間の割とすぐに後に着いたせいか人もぱらぱらとしかいなかった――その様子に興行的に上手くいくのか、余計なお世話だが心配になったりもした。とりあえず出直そうということになり、しばらく周辺施設を見てうろついた後、TOIROに戻った。ライブ自体はかなり盛り上がり、間近で見ることも出来て大変満足であった。DOTAMAのライブ後、物販にFragmentのお二人の姿が見えたので、術の穴のコンピレーションに参加して以来、挨拶をする機会がなかったため、今しかないと思い挨拶をさせて頂いた。
 6、7時間立ちっぱなしで大きい音を浴び続け更に各アーティスト全力のライブをそれこそぶつけられるように見たため疲労困憊だった。明日は耳鳴りでまともに曲作れないかもな、と思った。集客の面では若干の寂しさを覚えたが、刺激的なイベントだったので今後も続けていって欲しいものである。


(アルベルト志村)
066. and FRANNY - やさしいてんちそうぞう (feat. unmo)
2016年08月26日
and FRANNY名義での2曲目「やさしいてんちそうぞう」をSoundCloudにアップしました。


 
ボーカルはunmoさんにお願いいたしました。unmoさんは歌声もオリジナル曲もとても素敵なので、是非こちらもチェックしてみて下さい。 https://soundcloud.com/unmo


(アルベルト志村)
063. and FRANNY はじめました。
2016年07月02日
 気が付いたらブログの更新が3ヶ月も滞っていた。とりあえず月1での更新を目指してはいたが(あの灰色の表示に”もう終わってしまっている”感を覚えてとにかく気分が沈むので、なるべく出したくはなかった)、この体たらくである。しかも久々の更新が僕の個人的なお知らせなのも非常に申し訳ない。が、とりあえず我慢/許して欲しい。

 ということでこの度、志村の個人名義「and FRANNY
@and_FRANNY」というものを作った。名義はサリンジャーの『フラニーとゾーイ』(野崎孝訳に敬意をこめて)からとった。



 1曲目である「ぼくの歌にならない秘密たち」という曲は、瀬都あくさん
@setoooaku
にボーカルをお願いした。
 作る曲について基本的にはアインシュタインズとの区別は全く考えておらず、ただ何となく振り分けているだけなので、時間がある時、手慰みにでも聴いて頂きたいと思う。
次作につながるヒントが隠れているかもしれないしないかもしれない。あるいは、僕の無意識な振り分けがある法則や傾向をもっていて、そこからアインシュタインズをアインシュタインズたらしめている要素が浮かび上がってくる…かもしれない。

 宣伝だけで終わってしまうのも気が引けるので、アインシュタインズの近況報告をば。
 アインシュタインズの制作は実は年中途切れることなくやっていて、牛歩ながら着実に進んでいる。のんびり待って頂きたい。


(アルベルト志村)
060. 縁
2016年02月24日
 電車で同じ車両にたまたま居合わせた人は、前世でも同じ空間――江戸へ続く街道のとある茶屋とか、あるいはアフリカあたりで何かの祝祭が開かれた広場――にいたことがあったかもしれない。ある人と関係が深くなれば、昔も友達だったのかも、とか昔は恋人だったのかも。疎遠になってしまえば、実は昔もそこまで固く結ばれた関係ではなかったのだろう、とか昔もこうやって自然に離れていったのかな、という具合に考えることがままある。
 僕が特に好きなことわざで(座右の銘とか好きな名言はぱっと浮かばないが、ことわざだけはこれと決まっている)、「袖振り合うも多生の縁」というのがある。僕には前世の記憶がないので、前世の存在を論理的、物理的な観点から見て肯定しているわけではないが、全く否定はしていないし、あっても不思議ではないと考えているし、思想としてその存在に妙に納得もしている。
 そもそも何でもないような人との出会い――たまたま行ったライブで隣になった人と軽い挨拶をしたなんていうレベル――それ自体も世界に何億といる人の数を考えると、物凄い確率だと思うのだが、自分にとって良い、あるいは悪い等、印象に残っているものだけをピックアップして「これは縁だ」と主張するのは都合がよすぎる気もする。自分の誕生日の数字がやたら目に入ってしまうように、意識の偏りから、目立ったものだけを取り上げ勝ちになる。その反面、そんな途方もない確率の中から出会って(遭遇して)更に印象に残ったり何かが通じ合う人と知り合うことは、もっと確率は低いはずで、確かに縁とも言えるかもしれないな、とも思うのだ。
 かつて知り合った人に「縁って不思議だけど、やっぱりあるものだよ」と言われた。確かにその人との知り合い方は不思議だった。意外な人と人のつながりを知ったこともあった。あらゆる出会い――人でも物でも出来事でも何でも――に於いて、自分の力がとても及ばないところから、何らかの力が働いているような気がする時はある。
 縁とは一体、何なのであろうか。

 去年の今頃だったと思うが、とある展示に誘われた。僕も行きたいと思っていた展示だったのでオッケーの返事をした。調べてみるとその会期中、あるワークショップを開くというので興味を持った僕は、せっかくの機会だし参加してみようという旨も伝えた。抽選で外れるのを覚悟で応募してみると、あっさりと当選した。僕が想像していた以上に応募者は少なかったのかもしれない。
 当日、待ち合わせに遅れるという連絡があったので、展示がある博物館の最寄り駅でぼんやりとしていた。辺りにはコンビニとスーパーしかなかったので、ずっと駅舎の中から窓越しに風に揺れる木を眺めていた。
 ワークショップでは各々があるテーマ(大まかに言うと自分が好きなものとか影響を受けたもの)に基づいた資料を持ち寄るように言われていた。参加者は20人ほどだったろうか。大学のゼミや少人数の外国語の授業で使うような部屋で、共通の目的を持つ見ず知らずの人たちと数時間一緒に過ごすのだ。参加した人たちの趣味という個人的な――内面に根差した嗜好、そのほんの僅かな一部分に触れて、何となくその人となりを想像する。それぞれの趣味の中に、僕が好きなものや興味のあるものと共通する部分を見出して、具体的な想像の材料とするわけだ。そこから話し方や服装の傾向なんかも見てみる。ある意味でそこは自意識の発露の場だった。自分を基点としたアナロジー、すると少し“他人”ではなくなったような気になる。奇妙なつながりを発火点にして、異様な熱気が時間の経過とともに部屋に充溢していくのを感じた。そして同時に、僕がその熱気に上手く乗っかれずにいるのも。
 ワークショップが終わり、僕たちは部屋を出た。その部屋から出てしまえば参加していた人たちとはまた“他人”に戻る。厳密に言うとワークショップ中も他人だったのだが、そんなものは存在しないのにまるでスイッチが切り替わったかのように戻る。そう見えた。
 帰りの駅のホームで参加者のペアをたまたま見かけた。向こうがこちらに気付いたかどうかは分からない。何か声をかけていれば繋がりができたかもしれないし、何もしなければこのままもう一生会うことはないだろう。それは人生を変える出会いだったかもしれないし、全く影響しない出会いだったかもしれない――その時ふとそんなことを思った。よくあることだし本当に些細なことだが、人生の分岐点のようなものを感じて、悲しみなのか寂しさなのか分からない何かで心がぎゅっとなった。何かが交差した瞬間、地点に立っていた。
 何万何億と繰り返される小さな大きな出会いと別れの積み重ねに果たして耐えられるのか。そんなこといちいち気にして意識したらきりがないし、気にする人もいないと思うが、自分はどうなのかと考えた。これはまさに縁だ、と思うような出会いや遭遇したチャンスがこれまであった。しかし、その僥倖に甘え、努力を怠り、他人に任せて、かすかなつながりの萌芽を見せたそれらを見事に自分からぶった切ってしまった、という自覚、悔恨があるのも事実だ。人間関係に於ける問題ひいては性格を正当化して、弱さをごまかすために僕は“縁”という言葉を使っているのではないか?「縁がなかった」という割り切り方はどこか自分の責任を遠ざけている印象がある。それは人知を超えた力がそうさせたのだから仕方がなかったのだ、という言い訳ではないか?――煮え切らない感情の狭間で僕はしばし揺れて、「……まぁ出来る限りやってみてダメだったら、そうしたら縁がなかったってことだ」なんて嘯くのだ。
 
 ちなみにワークショップで作ったものは、封筒に入れて持ち帰ったまま開くことはおろか触ることすらしていない。あの時の熱気がそのまま凝縮してコンパイルされているような気がして、カーテンを閉め切った冷たい部屋の中にあっては、その温度差にとても耐えられる気がしなかったからだ。今ではその存在は部屋の中でも僕の中でも希薄になっているが、やはり開ける気にはならない。


 何故1年も前のことを今更書くのかというと、ワークショップの参加者に、アインシュタインズのツイッターアカウントをフォローしている方がいたためである。恐らく忘れてはいなくとも細かい所の記憶はもう朧であろうと勘定した(そして恐らくこのテキストを見ないであろうことも)。当時タイムラインを眺めていてツイートを見た時は驚き、世間は狭い、と思った。


(アルベルト志村)
056. 本にまつわるあれこれ 10月編
2015年10月27日
 友人からPS3をもらったので、DVDプレイヤーとしてのお噂はかねがね伺っております、さてその実力は如何ほどですか、と持っているDVDやBlu-rayを見返していた中に、ヤプーズのライブDVDがあった。PS3の性能のおかげか戸川純の可愛さを再認識、改めてネットで検索をかけた際にたまたま彼女の著作(『樹液すする、私は虫の女』『戸川純の気持ち』『戸川純のユートピア』)があることを知った。こんな本が出ていたのか!今まで露ほどその存在を気にもかけず知りもしなかった己を恥じた次第である。猛烈な物欲に駆られ、某大手オークションサイトや古本屋サイトを調べてみるも、その結果は芳しくなかった。これは地道に古本屋をあたるしかないか、と長期戦を覚悟し、欲しい本リストにその書名をメモしようとした矢先、某大手中古レコードショップが“戸川純の本3冊まるっと入荷”との情報が。何たる僥倖であろう、そのタイミングのあまりのドンピシャ具合に、大いなる存在に感謝したくなるほどであった。はやる気持ちは抑えられず、空気がしんと静かに冷えゆく黄昏の街へ僕は繰り出した。
 週末だったせいか、街はにぎわっていた。件の店へ直行し、初心者マークを胸元の名札に着けた店員さんに本のことを尋ねると、わざわざ棚を一緒に探してくれたので、面倒な客で申し訳ない、などと心の中で謝りつつ首尾よく3冊とも入手できた。
 それから満足のいく買い物をした充実感に満たされたまま、某大手チェーンの古本屋に行った。文芸や芸術書コーナーを見た後、詩集・短歌コーナーを見ていると、「短歌いいですよね、おすすめってありますか?」とやにわに話しかけられた。振り向くと見覚えのない男性が立っている。この日、店員に間違われるような恰好はしていなかったので、彼は意識的に話しかけてきたようである。僕は外出の数がそう多くないにも関わらず、駅で停車駅や電車を聞かれたり(初めて利用した駅でもあった)街中で道を尋ねられたりすることが、その分母の数にしてはなかなか多い割合であるのだが、これまでの人生で――新品を扱う書店・古本を扱う古書店合わせて結構な回数行っている中で、書店でこのように声を掛けられた記憶はない。一度レジのおばさんに会計の際、「この本面白いですよね、私も好きなんです」と言われたことがあったが、この時も結構面食らったものだ(おまけにその本はおつかいで頼まれて買ったので、僕が読むものではなかった)。僕もそんなによくは知らないのですが…と答えつつ知り合いかどうかを改めて確認するために足元から上へそれとなく視線を移したが、やはり全く知らない人だった。少し老けた感じではあるが、僕よりは若いだろうことが察せられた。彼は「僕も最近短歌に興味を持つようになって――」と話し、そうなんですか、と僕は答えると、「――よく映画とかに出てくるじゃないですか、一言かっこいいこと言う人。何かそういうのいいなって――」そんなようなことを続け、興味を持ったきっかけを教えてくれたのだが、正直よく分からなかった。僕は彼の話に興味を持っていないことを悟られても全く問題ないが会話を円滑に進められ得る最低限の相槌を打ち、とりあえず近代の歌人や有名どころの現代の歌人、文庫、新鋭短歌シリーズなどを教えた。すると好感を持たれたのか話し足りないのか、「映画とかも見るんですか」だとか、「どこに住んでるんですか」だとか、「普段何をしてるんですか」だとか個人的なこともぐいぐい聞いてきたので、この後怪しい勧誘か何かが始まるのではないかと警戒感を高めつつ、あまり具体的な内容は伏せて質問に答えていた。すると「○○(僕の地元。話の流れ的に教えなくてはならない感じになって教えてしまった)に今度行っていいですか?色々教えてください」と心のK点にぐっと踏み込んできたので、一気に僕の警戒レベルはマックスへ達した。話の途中、社会的動物である人としての一般的な良識は持っているように感じられたのだが、その馴れ馴れしさは君の良識に照らし合わせてどうなんだという問いを胸に浮かべ、ではそんな感じで…とお茶を濁し無理矢理に辞去した。あれが天然のコミュ力だったら凄いなと尊敬の念を抱きつつ、もしかするとこういう特徴的なことを起こしてSNSやブログで言及されているかどうかを後から検索し、特定するゲームではないのかと被害妄想を逞しくもした。恐らく単純に短歌に興味を持ち、どうしても質問がしたかっただけだとは思うが。ひょっとすると彼に歌を詠む才能があって、作歌を始めると、やがて今日のことも歌にしたりあるいはエッセイか何かに書くかも知れない。帰りがけ、未来の歌人(未定)に思いを馳せた。


 10月に川上未映子さんの新刊が、それも4年振りとなる長編が出ると知ったのは9月のことだった。『あこがれ』か…マストバイ。そう心で静かに即決し、折ある毎に情報をチェックしていたのだが、10月某日、刊行記念のサイン会があることを知って参加をこれまた即決。整理券のWEB予約分は気付いたら満数で終了してしまっていて動揺したが、サイン会が行われる三省堂神保町本店へ開店時間ちょっと過ぎ、電話にて問い合わせたところあっけないほど無事に予約ができて一安心した。
 当日、サイン会は19時からだった。神保町をふらふら見て回ろうと思い少し早めに出たが、駅に着いたのは夕方だった。ちょうどその日から神田古本まつりというイベントが開催されていて、靖国通り沿いには連なった提灯が薄暮の街に淡く光り、その下にずらりと並んだ青空古本市のカート、秋の深まりと共に日が沈むのが早まり、冷たくなる空気の中、本を手に取る人でにぎわう様は何とも言えない風情があった。一帯を覆う雰囲気だけで僕は良い心持ちになり、まずはざっと見て回り、三省堂で予約していた本とサイン会参加券を受け取ってから、改めてゆっくりと本の回廊――もらったパンフレットにはそう書かれていた――を見て回った。最近特に進んで読んでいる詩集を数冊買った。
 そういえば音楽関係のサイン会やイベントにはこれまでに行ったことがあるが、文芸関係は初めてなので何か勝手は違うのかな、と思いお得意の検索をしたところ、以前川上未映子さんのサイン会に参加した方のブログが出てきた。読んでみると、感想とか言ったり結構熱い思いをぶつけたり割と会話する時間があるっぽい情報を得て、にわかに緊張が高まった。感想、あの…その…好き…です、くらいしか言えない気がする。きっと、私は俺は僕は、と自分の主張を伝えたいファンの方が圧倒的に多いだろうから、話す時間があったら逆に色々質問してみようと考え、何とかその緊張を和らげようとした。
 19時を過ぎたので三省堂へ向かうと、既にサイン会に参加する方の列ができていた。ほとんどの方が件の新刊を読みながら並んでいて、その光景はなかなか今まで見たことのないものだった。僕は家に帰って精神を落ち着けてから読みたかったので、スマートフォンでスポーツニュースなんかを見ていると、「高橋由伸現役引退、監督就任へ」というニュースが目に飛び込んできてひとり狼狽した。並んでから1時間ほど経ち、店内に閉店のアナウンスが流れ、店じまいの準備を店員さんがし始めた頃、いよいよ順番が近付いてきた。僕の前に並んでいた女性の方は手紙を渡したり(予想だが、手紙を渡すファンの方は結構多いのではないかと思う)、他のイベントにも参加したことがあるようで話が盛り上がっていた。その様を見ると緊張で頭がぼんやりして完全に質問することを忘れてしまった。さて、僕の番となった。「こんばんは」と挨拶をして、為書きだったため川上さんが僕の名前を書いていると、隣に立っていた恐らく出版社の方であろうと思われる男性が名前に反応――僕の名前は7割方、初めて会う人に同様の質問をさせる――したので、そこに出版関係の方の気遣いというか気分をノせる上手さを垣間見つつ、いくぶん楽に話すことが出来た。現在「みつけて未映子さん」というタイトルの曲を作っているのだが――もちろんこれは川上未映子さんから拝借した、そのことを厚かましくも伝えると、「えぇ!どんな曲ですか、歌ってみて下さい」と言われてしまい、僕のシャイネスはここぞとばかりに発揮されて、薄笑いで誤魔化してしまった。最後に握手をして終わり。川上さんはとても気さくでお綺麗だった。帰途、何だかんだ言って僕も自分の主張に終始してしまった、と顧みて、ああやって他人の個人のパワーを浴び続けるのは大変だろうなと思った。しかしとてもいい記念となり、貴重な経験ができた。曲の発表は、いましばらくお待ちいただきたい。


(アルベルト志村)