028. 本について
2015年03月09日
 僕はこれまで、いわゆる”人生を変えた一冊の本”に出会ったことがない。自分の人生観をガラッと変えたり、性格や生活を翻すような衝撃、昨日と今日でまるっきり意識が変わる体験――は今のところ本によってもたらされた記憶はない。自己啓発系や怪しい終末思想系の本の話ではない、念のため。
 例えば、書店でいつもだったら行かない芸術書コーナーで目についた写真集をぱらっとめくってカメラマンになることを急に決意するような、たまたま手に取ったコスタリカかバングラデシュかフィンランドかタンザニアかどこか海外を紹介した本を見てはたとそこへ移住を決めてしまうような、そういう巡り合わせの妙、人生の転換への憧れ。こう書くとかなり仰々しく思えてきたので、実際にこれほどまでに人生を変える一冊に出会った人というのは、僕が考えているよりもだいぶ少ないのかもしれないが、こんなに大それたことでなくとも、その人にとってその人だけにしか分からない価値を見つけた瞬間、それはとても幸運で素晴らしいものだと思う。もちろん逆に悪い方へ変わってしまう不幸なことだってあるだろう。
 そもそも単に体験への憧れがあるだけで、何か強大な力に突き動かされて勝手に意思決定されるような感覚がもたらされるならば何でもいいのかもしれない。本は僕を取り巻くありとあらゆるもの――食べ物や服や映画や音楽や人やその他自分と関わりのあるもの全て――の中の、ひとつのトリガーにすぎないのではないか。

 手のひらを返すようだが、僕は年中こんなことを考えて本を読んでいるわけはない。改めて本について考えると、心のどこかでこんな風に感じているな、と思っただけで、ほぼ娯楽として読書を嗜んでいる。
 本を読むのは正直なところ得意ではないと感じていて、まず集中力がないし読むのも遅いし覚えも悪い。たまに漢字や熟語、ひらがなやカタカナの形や音は認識しているのに意味として入ってこなかったりして、読むの下手だな、と思う。それでも全く読書をしないわけではない。むしろなるべくするよう心がけている。内容に感銘を受けることも大いにあるし、言葉や文章、文体を美しく思ったり嫌に思ったりする。タイトルの付け方にハッとさせられたり、しっくりこなかったり。

 そんな僕がもっと早く読んでおけばよかった、と後悔した本があった。
 よしもとばななの『キッチン』だ。
 批評は書けないのであくまでも感じたことだけを書くが、読後に、この本を早く読んでいれば天啓に、福音に、救いに、あるいはその全て、あるいはそれらではない何かに必ずなったような直感めいた感覚があった。ただそれは僕にとって少し遅かった。”今”ではなかった。そういう感覚を喚起させる本が存在していたのに出会えていなかったことへの悲しさと、この年齢になってもまだまだ知り得ない出会いがこの先あるかもしれないという楽しみを感じた。
 そして『キッチン』をきっかけに買わずにはいられなくなって、よしもとばななの著作を10冊ほど購入し読んでみた――余談だが同じ時期に岡崎京子の漫画を読み返していたら内容や台詞がないまぜになることがあった。これはよしもとばななの作品に限らず、他の作品を読んでも言えることだが、自分が感じたり考えたりしたことと同じようなことが描写されていると、こう思うのは自分だけじゃないんだ、という慰めと同時に、何か小さなものを失った時のような切なさを感じる。自分だけが持っていたと思っていたものは、実は誰もが心の内に秘めているような何ら特別なものではなく、ありふれた、とてもちっぽけなものなのではないか、という切なさ。しかしそんな普遍性を持っていて共感させる作品だからこそ、慰めにも救いにもなるのであろう。彼女の作品、とりわけ『うたかた/サンクチュアリ』を読み、僕はそれを――慰めや切なさを――強く感じた。文章や内容、その温度感や質感が自分に合う感覚も今までにないものだった。

 性格も生活も『キッチン』を読む前とは全く変わっていない。しかし新たな人生の考え方や、これまでとは違う視点の悲しみや絶望の見つめ方、そして再生への示唆はあった気がする。はじめに書いたような大げさなものではいが、ひょっとするとこういう本を”人生を変えた一冊の本”と言っていいのかもしれない。


(アルベルト志村)

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