スポンサーサイト
--年--月--日
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
039. 春、アンビエント、切断
2015年03月19日
 冬が終わることへの抵抗か春が来ることへの恐怖か、気が滅入っています。冷たく刺すような空気からいつまでもつきまとってくるみたいな生ぬるい空気に変わっていく気配がそこここに漂っていて、そんな春の空気にからめ捕られて身動きがとりづらいような、呼吸すらもどこか息苦しく感じられるような(ちなみに花粉症ではありません)。何なんでしょうね。気分的な問題ですか。それとも自律神経的なアレですか。

 個人の意思とは関係ない絶対的な時間の流れを嫌と言うほど感じさせる、殊に冬から春にかけての環境――自然的なものも社会的なものも含めた――の変化の仕方は、緩やかなグラデーションを描くように推移していく――と私は感じている――春から夏、秋、そして冬という流れとは違い、また1から始まるいかにも更新といった、いや、むしろ切断に近い印象を受けます。乾いた地面から種子が芽吹く様子や、学年が変わる年度末・新年度という子供の頃からの刷り込みが、こういう印象を強くさせている要因のひとつかもしれません。それは時に希望を伴うし、置いてけぼりにされるような気分にもさせます。周囲の前へ進む速度に自分はついていけていないのではないかという不安。また、ちょうどいい切り替えや仕切り直しのタイミングと言えるし、それがかえって、切り替えなきゃいけないというプレッシャーになって動けないこともあるような。”その人の心持ち次第”なんて言葉で片付けてしまうのは少し危険ではないかと思うほどの強制力と強迫感を覚えます。小学1年生の時に、どうしても2年生に進級したくなかったことを思い出しました。理由は今となっては分かりませんが、とにかくなりたくなかった。そんな強烈な一心。熱は持たないけれど自らの存在を主張するように鈍く光る記憶が今でも残っています。
 この時期のざわざわ感はひょっとすると、もう上がる学年なんかないのに、春が来てひとつ大人になるという子供の頃の習慣や雰囲気が体のあちこちに染み込んでいて、そこに知覚の及ばない齟齬が生じることに起因しているのかもしれない、なんて考えたりもしたけれどどうでしょう。

 気分が沈んでいる時や悲しい時は、特にクラシックやジャズなんかを聴きたくなります。音や旋律の意味を考えてもいいし考えなくてもいいし、作者の意図を汲み取ってもいいし汲み取らなくてもいい。純粋な審美的な観点で聴けて、ほどよい距離感がある、と勝手に半ば停止気味な頭と心で思いながら聴きます――明文化するとこうなりますが、本当はこんなことは思わずにぼんやりと聴いていることが多いです。単純に心地良いですからね。
 しかし最近はそれすらも疲れるような気がして、何となく気も進まないときて、だったら何も聴かなきゃいいじゃん、と思うけれどもそういうことでもなくて。日常の音からも離れたい――そこでアンビエントやドローンを進んで聴くようになりました。体――耳や脳も?――が求めているという感じです。メロディもリズムもケーデンスもないところがいい。こう思うようになるなんて10年前の自分は全く予想だにしなかったでしょうね。時間の経過を感じさせる余計なものが一切ない音。そんな魅力を新たに発見できて、アンビエント系の曲を探している時、久々にニヤついていました。現時点の趣向として、なるべく環境音やリズム的なノイズ、パーカッシブな音が入っておらず、和声の変化もないものを選んで聴いています。
 私はとても涙腺が緩いのですが、音楽を聴いてわんわん泣いたことは意外とありません。しかし、うるうるすることはあります。時候のせいか気分のせいか、そんなうるっとくる瞬間がいつも以上にやってきそうな予感がするので、なるべく感情を揺さぶらない低刺激で、己の心情を投影する余地のない音を聴いていたい、という気分もアンビエントに傾倒した理由としてあったかもしれません。

 ドローンやアンビエントは、制作上のプロセス――オーディオの編集、カットやコピー、ペースト――についてここでは言及しないとして、聴感上、単一の音が延々と伸び続けていつの間にか始まりと終わりの境界がぼやけシームレスになります。つまり前へ進もうとする律動が抑えられ、切断や更新もないか、あるいはそれらが極限まで削がれた音楽なんだ、とはたと思いました。そう、見事に春の苦手な部分を音楽が相殺してくれており、この時期の私にうってつけなものだったわけです。体は何とも正直でありました。
 
でも自分の中で、うつろう四季や旬のようにその時しか聴く気になれない音楽や流行りがあって、恐らくその内また違うジャンルを求めたり、いつも聴いていたような音楽を聴きだしたりするのだろうなぁと思います。別の何かを聴き始めたのなら、それは季節が――ひょっとしたら自分も――変わっていくというささやかなしるしなのかもしれません。


(アルベルト志村)

スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。