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049. 久々に寂しい朝だった。――僕が微力ながら応援していたアーティストについて。
2015年05月17日
 先日、あるアーティストのライブを見に行った。
 会場は少し特殊で、いわゆるライブハウスや料理を楽しみながら音楽を聴くというようなカフェやバーではなく、中央にピアノが置かれたささやかな音楽用ホール。そこでピアノを弾く彼女の姿はとても映えた。

 僕が彼女を知ったのは今からおよそ1年前――2014年の5月か6月ぐらいだったと思うが、ひょんなことからサウンドクラウドにあげられた音源を聴いた。ピアノの弾き語りで、歌のスタイルはメロディとも語りともつかない――乱暴な言い方をすれば、現代的なセンスを感じるもので面白く、アートワークも凝っていて、一回聴いてすぐに惹かれた。次第に寡作になってしまったが、気になるアーティストであった。
 それから秋頃、実際に話す機会があった。この時、僕が当初抱いた彼女のイメージや音楽的バックグラウンドは誤解に溢れ、だいぶ見当違いなものであったことを知った。僕なんかよりもずっと音楽に真面目に向き合っていて、鋭い感性が窺え、どこかもろそうな雰囲気をたたえながらも己の哲学があって芯が一本通っているような、しっかりしている印象が強く残っている。後で振り返って、先輩ヅラしたような説教くさい話をついしてしまいがちだったなと気が滅入って、申し訳ない気持ちになったりもした。

 2014年の夏に、一度ライブをやったことがあった。僕は行かなかったことを後悔していたので、いつかまたライブがあったら絶対に行こうと思っていた。
 しばらくしてから、2015年4月に久々のライブをやるというので、僕は迷わず行くことを決めた。

 そして当日。それはある企画の演奏会で、出演は6組くらいであったろうか。彼女の出番、ライブは1番最後だった。つつがなく進行し演奏会も終わりに近付くと、僕はにわかに緊張していた。
 くまのぬいぐるみとブランケットを持って、白い衣装の彼女が壇上に現れピアノの前に座ると、照明が落ち、ホールは真っ暗になった。ステージの後ろにはスクリーンが下ろされ、オリジナルの映像が投影された。他の出演者とは明らかに毛色が違った。自己紹介を済ますと、語りと歌の中間を流れるように縫い、ライブは始まった。映像に合わせて演奏される曲は、サウンドクラウドにアップされた音源より何倍もその魅力が伝わった。この時はまだ呑気にも、こういう形態のライブはとてもいいな…などと考えていた。
 途中で彼女は、曲を作るのもライブもこれで最後、と言った。突然なことに思考が追いつかず、その時はそれが本当のことなのかどうか僕は分からなかったのだが、その言い方にただならぬ気配を感じ、心はぞわぞわしたままライブを見続けた。
 持ち時間は長くなく、全部で3曲。だが新曲もあった。あっという間だったし、2時間くらい見ていたようでもあった。確実に言えることは、僕は感動したということだ。演奏や歌にあてられてか、彼女の意思みたいなものを感じてか、終演後、少し気分が悪くなったくらい揺さぶられた。失礼を承知で挨拶もせずそそくさと会場を後にし、帰りの電車でも何かを考えているようで、何も考えられないような妙な感覚だった。

 その日の夜、ささやかながらライブの感想を伝え、少し話すと、彼女は確かに創作から離れるとのことだった。彼女の友達はライブを見て泣いてしまったそうだ。また僕が以前、何気なく聞いた「曲作っていて楽しい?」という質問が、音楽を作ることのひとつの観点として、改めて創作を考えるきっかけ――こう書くと少し大げさかもしれない――になっていたことも話した。
 寝る前、ライブのことや話したことを思い返して色々と考えていた。何か応援できないものかと常々思っていたが、結局、具体的に何かをしたり出来たわけではなかった。もしこれが最後のライブだとあらかじめしっかり認識して見ていたら、僕も泣いてしまっていた気がした。ライブはさながら星の一生を見たような、見届けたような感覚だったな、と思った。3曲分に圧縮した何億年分かの星の一生。消滅する一瞬のまばゆい光。それはとても美しく強く儚い。そして光は、人間の時間の感覚をはるかに超越した時間で届き、また残り続ける。ライブを録画なり録音をしておけば良かった――念のために言っておくと、そういう行為が恐らく許されるような、少し緩さのある演奏会であった――ともふと思ったが、記録に残しておくのはナンセンスなことで、且つ残してはおけないものであったのだと思う。
 そして根源的な問題、音楽とは何なのだろうかとか、何のために作って何のためになるのだろうかとか、あるいは僕が質問したことについてとか、「作り続けていればきっと大丈夫」と無責任にも――しかし本心から――言ってしまっていたこと、結果的に何もすることが出来なかった僕はただ奪うだけではなかったのか、など、答えもなくただ問いだけを、その音として反芻するように頭の中で、自惚れも甚だしいなと自嘲気味に思いながらぼんやり繰り返すことを止めることは出来なかった。

 翌朝起きると、久々に寂しい朝だった。前日のことが不意に現実感を伴って頭の中に立ち上ってくると、どうしても文章に書き残しておきたくなった。
 昨夜、「普通の女の子になりたい」と話していた――奇しくも発表を控えていた僕が作った曲の歌詞の内容と一致していた――彼女は、少しだけ解放されたようなすっきりした様子だったのが何よりで、それ以上の望むべき、喜ぶべき事実はないのではないか。僕は彼女の決断を聞いた時、心の底から尊敬したし、この寂しさは彼女に対してとても失礼に感じた。人によって、音楽あるいは芸術を最大限に楽しむための適切で自然な距離感は様々で、近い方がベストな人もいれば、遠くても、あるいは全く触れなくても大丈夫な人だっているだろう。ちょうどいい距離感を見つけられることは、生活をより豊かにすると考える。そして僕は改めて、ライブを見ることができて本当に良かった、と思った。



(アルベルト志村)
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