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053. 日付けのない日記⑤
2015年07月31日
 いよいよ夏がその無邪気さでもって熱をあたり一面無差別にばらまいて抱かせんとする時候、ややもするとその熱は僕から気力や体力を奪い、出不精に拍車をかける元になりかねないが、いくつか外出の目的を作ることで己を奮い立たせたその日は、家を出る時、ほんの少しだが小雨がちらついていた。それでも暑さは一丁前で、タオルと折り畳み傘をバッグへ入れた。

 まず銀座・京橋へ渡邊のり子さんの展示を見に行った。銀座は家族連れや外国人観光客などが見受けられた。思いのほか歩行者天国に人はいなかった。その水滴が肌に当たるのを感ぜられる程度に雨は降っていたが、持ってきた折り畳み傘をわざわざ取り出して差すその所作と手間を思うと、バッグの中にそのままにして目的地へ向かった方が面倒のないように思えたし、この程度では少し汗をかいたのと変わらず雨に濡れた内には入らないとも思った。少し道に迷いながら、地図(スマホのアプリ)を確認しいしいギャラリーへ着いた。入ると突然「こんにちは」と声を掛けられた。恐らく渡邊さんご本人であろうと思われるが、全く予期していなかった挨拶と、生来の人見知りがとっさの判断を余計に鈍らせ、気味の悪い会釈をするのが精いっぱいであった。たいそう失礼であったと思う。僕の他に男女2人連れのお客さんが親しげな様子で話しながら展示を見ていたので、尚のこと僕は畏縮してしまった。展示は素晴らしかった。およそ5センチ四方の木製の箱に、それぞれテーマを伴ったコラージュや立体作品が置かれ、その中に小さな世界や宇宙や感情なんかが広がっている。その箱がずらりと並んだ様は圧巻で、単純に見た目にも美しく可愛い。何とかして「凄く良いですね」と感想を伝えようと思ったが、結局何も言えずにギャラリーを後にして、声を掛ければよかったとすぐに後悔をした。

 渋谷へ行き、井の頭線に乗り換え下北沢で降りた。正直言うと、僕はあまりこの街が得意ではなかった。お店の位置関係が全く分からず、行くたびに迷っていた。で、何となくぐるぐる歩いていると何となく目的のお店に着く、といった感じだ。そして何よりも夢を持った若者たちの街というイメージと、実際に多い若者たち、人いきれ、更にはかつて若者だった人たちが持っていた夢、叶えられなかったその無数の夢の残滓が澱のように沈殿しているような気がしてならず、何となく気分がどんよりとするのだった。銀座でもそうだったが、スマートフォンという文明の利器のおかげで、とりあえず地理的な問題は解消されたきらいがある。
 最初にレコードショップで取り置きしていた商品を引き取った。新品のEPの値段が1500円を超え、LPは4000円を超えだしてから、レコードへの興味は確実に薄くなった。もとより過去のものは追い出すときりがないので自重している。もうレコードはあまり買わないかもしれない。
 それから古本屋を覗いて、そこではセンダックの絵本(洋書)を買った。ついでとある本屋へ。ぼんやりとしながら棚から棚へ。するとリトルプレスらしい本が目に入った。表紙に惹かれ、帯を見るとECD氏がコメントをしている。興味を持ってサンプルを見てみると、どうやら主に日記・エッセイを収録したものらしい。何だかとても気になったので買ってみた。植本一子さんの『かなわない』という本である。
 適当に下北沢をふらふらするとお祭りをやっているようだ。そういえば提灯が下がっていて、浴衣を着た若者も見かけた。ある通りへ出ると、フリーマーケットや、イベントのようなものもやっていた。夏だ、と思った。同時に、結構いい街なのかもしれない、とも思った。雨は少し降っていた。僕は折り畳み傘を差していたが、傘をしまう袋をどこかに落としてしまっていた。

 帰宅後、購入した『かなわない』を袋からあけると、一気に読んでしまった。何かと予備知識不足で、植本さんがECD氏の奥さんだったのも読んでいくうちに知ったのだが、あまりの赤裸々さに衝撃を受けた。僕と環境的あるいは境遇的な共通点は探す方が難しいくらいであるが、その内容にはっとした。読み終わった後、しばらく呆然として何とも言えない読後感を噛みながら、甘いのか苦いのかしょっぱいのか、この味は一体何なのか、何だったのかをしばらく考え、これは凄い本だ、と思った。強烈さに癒されたような、セラピーを受けたような気さえした。あるいは全くの勘違いかもしれない。


(アルベルト志村)
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